不動産投資を把握しよう
ほどよく錆びた壁によって区切られた領域は、視界を遮りつつ、白い石が敷きつめられ、聖地のような趣も漂う。
彼らは、単純な操作であるにもかかわらず、周囲との関係性から、地蔵の横のプレート、透視図法的な効果のある細くしぼった導入部、禅庭のように囲われた空間、樹木に寄りそう壁、開放的な場にしつらえられたタイヤのブランコを吊るフレーム、オブジェ化したシャベル、対岸を眺める東屋など、性格の違う様々な空間を創造している。
しかも、傾斜のある地形の特性を活用しながら、人工物を巧みに挿入し、自然の風景を最大限に引きだす。
彼らの建築的な才能がみごとに生かされた敷地のリノベーションといえるかもしれない。
カサグランデ&リンターラは、各地のアートイベントで評価されている底力を発揮していた。
森の学校キョロロは、巨大な蛇がのたうちまわるような造形を特徴とする。
しかも、となじんでいる。
森の学校は、二○○三年六月にオープンしたのだが、オープン時すでに太古から存在しているような風格をもっていた。
大蛇の全長は一六○メートル。
そのうち端部の三四メートルは、塔に変身し、上にのびていく。
こうしたチューブ状の構成は、並列的な配置によって、空間のヒエラルキーを解体することから、一九九○年代以降の建築界で好まれている。
ただし、多くの場合は都市の隙間を縫うのに対し、森の学校はY中に建つ。
T塚建築研究所は、場所の特性から、チューブを導く。
豪雪地帯のため、冬はほとんどが埋もれ、塔の展望台だけが見えるという。
なるほど、設計者が指摘するように、潜水艦のような建築である。
チューブが真っ直ぐではなく、うねうねと蛇行しているのは、かつて存在した棚田のあぜ道をなぞったからだ。
アクリルの大きな窓(最大のものは一四メートル×一四メートル)を要所にはめ込み、様々な方位の景観を楽しむことができる。
もともと手塚建築研究所は、特定の方向の眺めを生かした住宅を得意としていたが(鎌倉山の家やアクリルの大きな窓(最大のものめを生かした住宅を得意としていたが(鎌倉山の家やメガホンハウスなど)、つなぎあわせたデザインとして解釈できる。
一見すると、複雑な形状の森の学校は、シンプルで明快な建築をつくるT塚建築研究所らしくないデザインのようだ。
敷地の状況にあわせて、住宅の単位を連結したものなのである。
耐雪を考慮し、窓をガラスではなくアクリル製としたことにより、冬は雪の断面も鑑賞できるという。
また建物の断面形状は、雪の多い地域ならではの覆道を意識したものだ。
森の学校が蛇だとすれば、まつだい雪国農耕文化村センターは蜘鉄である。
複数の足をのばして立ち上がる白い巨体。
イリヤ&エミリア・カバコフの田植えをかたどった作品が点在する棚田を下りながら見ると、線路の前に横たわる異形がはっきりと浮かぶ。
MVRDVのコンセプトは、以下の通り。
雪国ゆえに一階を持ち上げる。
ただし、柱ではなく、斜めにのぼる入口/通路により支えるのだ。
しかも、その通路が建物を貫通することで内部も分割し、ショップやレストランなど、各々の領域を規定してしまう。
一していたが、大きなスケールの公共施設を手がけることで、新しい領域を開拓した。
ところで、森の学校は、公共事業の実績や応募資格を問わないという話題のコンペによって誕生したものである。
審査員も地元の長が入ることなく、信頼できる建築家のみ(青木淳、S島和世、K嶋一浩)が担当した。
近年、コンペの制限が厳しくなっており、公共施設を担当してもおかしくないすぐれた若手建築家が、小住宅の仕事ばかりで、次のステップに進みづらくなっている。
彼らもまさにそうだった。
ゆえに、こうした新しい才能を発掘し、育てるプロジェクトは実に貴重である。
部では、ディテールのないことが批判されているが、プログラムのアイデアがそのまま造形化された、MVRDVらしい、きわめて明快な建築である。
ピロティで持ち上げるという構成は、ル・コルビュジエの唱えた近代建築の原則にも連なる。
ここではニブロールの公演を鑑賞する機会を得たのだが、大屋根の下で周囲の風景を見ながら、大人数が集まる興味深い空間が生まれていた。
鋭角に交わる通路群は、ダニエル・リベスキンドのユダヤ博物館の地下を連想させる。
ただし、リベスキンドの通路それ自体に象徴的な意味をもたせたのに対し、MVRDVはむしろ矩形のプランを切り取ることに重点を置く。
実際、それぞれのエリアは緑や青など入念に色分けされ、はっきりとしたキャラクターを与えられている。
色を共有しながら、アーティストとのコラボレーションにより、作品と建築が分かちがたく融合している(ジャンリック・ヴィルムートのカフェや河口達夫の黒板など)。
カバコフの作品を見るためのテラスもある。
ところで、作品の竣工を契機に、日本語で読めるMVRDVのコンセプト・ブック『MVRDV式』(彰国社二○○三年)も初めて刊行された。
本を開くと、「持ち上げ」・「ブリッジ」(三本の通路は日本の歩道橋がイメージ源らしい!)・「天蓋」などの二○○三年は、東京の巨大開発が話題になり、バブル期に続き、再び外タレ建築家ブームが訪れたといわれている。
ラインナップで目につくのは、KPF、シーザー・ペリー、ケヴィン・ローチなど、すでに作風の安定した大御所ばかり。
確かにネーム・バリューはそれなりにあるかもしれないが、昔ヒットした歌手のどさ回りのようなプロジェクトから、冒険的な建築が生まれるはずがない。
実際、優等生的な作品である。
バブルのときのほうが、短命だったとはいえ、ピーター・アイゼンマンなど、先鋭的な建築家の実作を生みだす場として日本は機能していた。
施主の趣味は保守的になり、明らかに後退している。
思想史のA田彰は、建築の置かれた状況を、こう指摘する。
「政治も建築に無関心になったわけですよ。
例えば、日本でもT下健三が活躍した時代までは一応建築に関心があったけれども、今や全くなくなって、首相官邸がどんな建築になろうが誰も気にしない。
それから、資本も建築に無関心になった。
産業資本主義の時代はやはり建築に関心があったので、ロックフェラーにはロックフェラーの好みがあったわけだけれど、ビル・ゲイッはログ・キャビンの中にインターネットさえ通じていればいい、と」(「新潮」新潮社二○○三年一○月号)。
それゆえ、越後妻有において、MVRDVのように脂ののった建築家を採用した英断を評価したい。
もっとも、彼らは母国オランダでは国家的に後押しされており、若手でありながら、ハノーバー万博のオランダ館や都市計画を依頼されている。
力のある若手建築家にチャンスを与えない日本とは、状況が大きく違う。
例えば、愛知万博においても、若手の建築家がほとんど起用されていない。
この先の建築を考えるならば、絶望的京都の新しい文化拠点、スフェラ・ビルが始動した。
京阪三条の駅からMに歩いて、約三分。
古美術店や料理店が並ぶ通りの一角に建つ。
五階建てのビルをリノベーションしたもので、デザインショップ、書店、ギャラリー、レストラン、和食店から構成された複合施設である。
ミニマルなデザインを得意とするスウェーデンの若手建築家ユニット、クラーソン・コイヴィスト・ルーネ(CKR)が手がけた。
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